日々忙しい仕事の合間を縫ってネットサーフィンをしていて、こんな
記事を見つけた。
チベットのロカ地方で織られた毛織物を用いて作った商品を取り扱っているネットショップ、
Lamdowa(ラムジョワ)を主催されている方の
ブログのある日の記事。以下一部を転写する。
蔵漂とは西蔵漂客の略で日本語に訳せば‘チベット漂流者’みたいな意味になります。1980年代から画家や作家が内地からチベットへ移入を始め、今となっては鉄道の開通でものすごい数の若者が押し寄せています。
中国人ヒッピー。何もせず、ただ太陽をあびて、バター茶飲んで過ごすだけ。
最近ツクラカン前に行くとと?ってもたくさんの蔵漂に出会えます(笑)この文章の中で紹介されている「蔵漂」という存在。何だか胡散臭い奴らだな、などと思いつつ、どこか気にかかる。
だって、味にうるさい中国人なのに、バター茶飲んで過ごすっつーんだもん。
あっ、決してバター茶がマズいって言ってるんじゃないよ。バター茶大好きだし、俺。
ただ、乳製品に馴染みの薄い漢人にとっては、ちょっとキツい飲み物だろうなと思っただけ。そんな彼らがバター茶を飲むって行為が、彼らなりにチベットに溶け込もうとせんがためのものなのかもと想像すると、ちょっと興味深い。
で、ふと思ったこと。
彼らは果たしてチベット人にとって味方になり得るんだろうか?
日本の感覚で言ったら、例えば内地から来て沖縄とかでブラブラしてるバックパッカーみたいな存在なのかな、などと考えてみると個人的には分かりやすい。ほら、沖縄でもさ、ともすれば排他的な離島のコミュニティに時間を掛けてキチンと入ってって溶け込もうと努力する人も多少はいるんだろうけど、那覇や石垣あたりのゲストハウスに居座って観光するでもなく仕事するでもなくグダグダ過ごしてる、だったら実家に帰れよ的な奴って多いじゃん?ま、沖縄に限らず、タイでもインドでもそんな奴ら腐るほどいるわな。旅の話を聞いても他の日本人しか出てこない、みたいな奴とかさ。
蔵漂って連中にしたって、ラサくんだりまで来てバター茶飲んでみても、結局つるむのは同じ漢人ばかりで、チベットの独立だ自治だなんて許せない中華思想バンザイな奴らばかりなんじゃあねえの、と。
仮にそんな結論を出してみる。
でも、俺自身かつてはその蔵漂みたいな旅の日々を送っていた手前、何かそれだけじゃないような気もする。
そこで更にふと思い出したことがある。
昨年の春から夏にかけて、はるばるハワイからやってきて日本の海洋文化に大きな影響を与えた
ホクレア号。海図もコンパスも使わずに自然の動きを読んで航海をするその伝統カヌーの数少ない日本人乗組員のひとり、
内野加奈子さんが日本への航海の道のりを綴った
『ホクレア 星が教えてくれる道』という本のなかで、ホクレアの航海を陰で支えてきたカヌービルダーのウォリーという人にまつわるこんなエピソードが記されている。以下一部を引用する。
ウォリーはハワイアンの血を引くことのない白人だ。ある時、彼は、航海を前にしたクルーミーティングの席に着いていた。部屋は、もうすぐ始まる新たな航海への期待で満ち溢れていた。ミーティングも中盤に入り、クルー編成の話が始まったとき、そんな明るい部屋の空気が、ひとりののハワイアンの言葉で一瞬にして変わった。
「ホクレアには、白人に足を踏み入れてほしくない。」
沈黙がしばらくの間、部屋を包み込んだ。そしてウォリーは、静かに立ち上がり、部屋を後にした。ホクレアを心から愛し、誰よりも情熱を注いできたウォリー。決して変えることのできない自らの肌の色。ホクレアへ彼が捧げた愛と情熱の大きさは、そのまま白人であるがために彼が背負った苦しみの大きさでもあった。
西欧文化が入ってきてからというもの、土地を奪われ、言語を奪われ、文化と自らへの誇りを奪われてきたハワイの歴史。これ以上、何も奪われたくないというハワイアンの悲痛な思い。社会が生み出したその行き場のない怒りは、時に鋭い凶器のようになって、罪のない個人を襲った。
ウォリーは、その後も、カヌービルダーとして常にホクレアを支え続けた。けれども彼は、何度招かれても、実際にホクレアに乗って海を航海しようとはしなかった。彼はただ静かに、ホクレアへと情熱を注ぎ続けた。ウォリーが初めてホクレアに乗り、海に出たのは、それから10年近くたってからのことだった。
ホクレアが航海を始めてから30年を超えた今、クルーの誰もが、ウォリーをクプナ(長老)として慕っている。スティアリングブレードには彼の名が刻まれ、彼がホクレアに残した数々の功績は、新しい世代へとしっかりと語り継がれている。正直ちょっと目頭が熱くなってしまう話。この本片手に乗った通勤電車の中でグッと涙を堪えたっけ。
んで、だ。
蔵漂と呼ばれる人達の中にも、チベット人が考えるチベットの将来に対して協力的な役割りを担う人が少なからずいるのではないか、と、思ってみたりもするわけだ。
こんなことをツラツラと考えていると、良くしたもので更に示唆に富んだ文章を見つけたりする。
チベット・フリークにはお馴染みの早稲田大学の石濱裕美子先生の
ブログに、今ウワサの『08憲章』に関する
記事が数日前に載ったんだけど、その一節にこんな話がある。以下一部を転写する。
そう、ダライラマもおっしゃるように「中国人は?だ、なんて一括してレッテルはってはいけない」のである。この303人のように自分の頭でものを考えることができる人はいるのである。
何ヶ月か前、生徒のMくんが、某漢民族の女性とその息子さんと世間話をしていたら、彼らのチベット人に対する認識がわれわれと大して変わらないのに驚いたという。
中国の愛国教育においては「チベット人がひどい生活をしていたから中国共産党が解放してやって、豊かにしてやった」みたいに教えられるんだけど、その女性と息子さんはそれを実際に聞いたmの文章をそのまま借りると
「何も漢民族とはまったく違う価値観を持つチベット人がそもそも物質的な豊かさを求めているとは限らない」
「もし20世紀後半に共産党が来ていなかったとしてもダライラマ政権や国民党政府など他の政権が物質面も人権面も改善していたと考えるのはグローバル化を考えても当然」という。
「漢民族の多くはチベットの場所も文化も生活も実際に知らないし知ろうともしない。なのにどうやってチベットが中国の一部だと主張することができるのか」とどこかで聞いたことあるセリフだ。
どこって、どこぞの授業で?(笑)
で、彼らがなぜ愛国教育に洗脳されず、このしごくまともな見解を抱くにいたったかというと、文革の時に中央から下放されてきた知識人とのふれあいや実際のチベット人との会話を通してとのことである。
知識人が田舎に送られていた時代、紅衛兵の子供たちであふれた都会よりも知識人のいる田舎の方がよりまともな「教育」を受けられたと言うわけ。
どんなひどい体制の中にもこの親子のように、きちんと自分の頭でものを考える人はいる。今回の08憲章の署名人たちもそうである。正に胸がすく思い。ブルースのスタンダード曲に“You can't judge a book by looking at the cover”ってタイトルの曲があって、直訳すれば「表紙を見ただけで本の中身までは判断できない」って感じになるんだけど、ほんとその通り。国籍とか民族とか肌の色とか、そんなもんで個人の意思まで判断しようだなんて迂闊なことしちゃあいかんね。
漢人の中にもそんな柔軟な考え方を持ってる人がいるってのは、チベットの未来にとっては非常に重要だと思う。これ以上欧米社会でフォロワーを増やすために努力するよりも、こういう人達と地道な対話を続けることの方が今の今は効果的なんじゃないかな。
今いち話がまとまってないけど、何だか希望ありそうじゃん。
希望がある限り、しつこいぐらい声を上げよう。
チベットに自由を。
(青)
関連記事 :
【記者ブログ】春雷が聞こえる?08憲章 福島香織中国人権問題:08憲章は五輪がまいたタネの芽吹き?やはり現れた、ネット文化革命「08憲章」
コメントの投稿