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先日、代々木上原にある東京ジャーミイという所を見学してきた。ジャーミイという言葉はトルコ語で一定以上の規模のモスクのことを指すのだそうで(関連記事)、つまり、この東京ジャーミイって所も、立派なモスクというわけ。

5名以下であれば事前の予約の必要もなく日曜祭日を含む毎日朝10:00から夕方18:00まで見学が可能、とのことで喜び勇んで訪れてみたのだけど、立派も立派、その独特の建築様式や細部に至るまで施された内装の素晴らしさに、圧倒されっ放しの小一時間だったよ。

イスラムでは偶像崇拝を否定しているので、モスク内の装飾は大別して文字、幾何学模様、植物を模したものの3つに分けられる。彩りはキリスト教の教会にもひけを取らないくらいカラフルなステンドグラスにも、具体的な人物像が一切ないわけで、キリスト教なり仏教なりの偶像万歳的な世界観に慣れ親しんでしまっている者としては、何だか不思議な感覚。

一定のルールの元でなら入場を許されている東京ジャーミイの礼拝場の中で、そんな不思議な感覚に包まれながら、10年以上も前の旅先でのとある対話をふと思い出した。今宵はそんなお話。

パキスタンの首都イスラマバードの近郊に位置するラーワルピンディーという街。首都の近郊と言っても、そもそもイスラマバードの方は遷都のために作られた人工都市なので、生活感に溢れるのはこちらのラワールピンディ。酷暑の街中を外国人カップルに対する好奇の眼に晒されながら歩いていると、イカした雰囲気の古書店に出くわした。

店内に入ると、年季の入った古書が雑然とそこら中に積み上げられている。パッと見、ウルドゥー語と思しきアラビア文字か英語で書かれているものがほとんど。訪れる者もおらず、雑踏の賑わいとは裏腹の静かな時間が流れている。

レジカウンターにひとり佇む店主は長々とした髪にヒゲを蓄え、例えて言うならインドの聖者シュリ・シュリ・ラビ・シャンカールのようなルックス。他国に比べファッション面で保守的な当時のパキスタンでは珍しいタイプ。こういう人って結構英語が流暢だったりするんだよな、などと思っていると、案の定英語で話しかけられた。

「あなた達は日本人だね。その首から下げているのは一体何だい?」

当時、俺も相方も、チベットのラサで購入した数珠を首から掛けており、更に俺の数珠には、何処ぞで入手したのかも忘れたが中国系仏教の観音菩薩像をモチーフにしたペンダントヘッドをオプションで付け加えていた。店主はどうやら、数珠そのものよりも観音菩薩像の方に興味があったらしい。それがどのようなものであるかを自分なりの解釈で説明したのだが...。

「つまり、あなたの説明によれば、この像は何かしら神聖なものであるということだね。でも、そこが私には理解できないんだ。

あなた達が生きている。私もこうして生きている。

そんな私達が今ここで出会う。

風が吹き、太陽の光が降り注ぎ、時には雨が降って大地を潤す。

そんな諸々のことが、既に神聖な力に依るものであると、私は思うのだが。」


以前に、ヒマーチャル・プラデーシュからラダックへ向かう道すがらに行き合ったサドゥーとも似たような会話をしたことがあったけど、今回の相手はイスラム教徒。明らかに偶像崇拝に対するアンチテーゼを言外に匂わせている。

ヒンドゥー教やチベット仏教の毒々しいまでの偶像の数々に直に触れそして親しみを感じながら旅を続けてきた身としては、ここは気の効いた反論のひとつでも主張したいところ。でも暑さにヤラれたアタマで想定外の意見に対する回答を考えそれを英語の文章に組み立てるのは至難の業。結局俺はこう答えるしかなかった。

旅の間、考えてみるよ。

東京ジャーミイの片隅に貼ってあった、メッカのあの黒い箱の周りで千万の巡礼者が祈りを捧げる姿を写したポスターを見ながら、改めて自分なりの意見を組み立ててみる。今ならね、あの古本屋の店主に、逆にこう問いかけたいと思うんだ。

神聖な力がこの世界に遍在しているとしたら、何故あなた達イスラム教徒はいつもメッカの方向に向かって祈りを捧げるのか?

この世界が神聖な力に満ち溢れているのだとしたら、祈りを捧げる方向など、どちらだって良いのではないのか?

メッカの中心にあるあの黒い箱は、この世界に遍在する神聖な力と、唯一神との間の、一体どこに位置づけられるのか?

やっぱりあれは、一種の偶像のようなものなのではないのか?

俺は、イスラム教徒=テロリストだなんて馬鹿げた偏見は持ち合わせていない。でも、彼等の信仰の構造には、俺には分からないことがたくさんある。

(青)

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クリスマスが近いからってわけじゃないけど、珍しくキリスト教の話題。
キリスト教に関連して、兼ねてから決着をつけなアカンと思ってる一冊がある。それがこれ。

沈黙 (新潮文庫)沈黙 (新潮文庫)
(1981/10)
遠藤 周作

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この本を最初に読んだのはかれこれ10年程前、今の嫁であるトランプすずきとふたり、東南アジアの国々を自堕落に旅をして過ごしてた頃。たまたま知り合った他の旅人から譲り受けたこの本を回し読みした後の議論で、この物語の主人公である神父に対する感想を巡って(ト)と俺との意見は真正面から対立した。

彼が持つ信仰心のようなものを自分は持ち合わせていないけれど、持ち合わせていないからこそ彼のその深い苦悩に心を打たれた、というのが(ト)の意見だった(と記憶してるが間違ってたらコメントくれ>母ちゃん)。

一方の俺。小学生の頃、友人に誘われて近所の教会の日曜学校に2年ほど通ってたことがあるのだが、ある年のクリスマス会の出し物の劇でイヤイヤ主役(信心深い木こりとか、そんなつまらん役だ)を務めた翌日に高熱を出し、別の友人と約束していた釣りに行けなかったという苦い経験が災いして、今となってはキリスト教に対してネガティブな偏見を抱いてしまっている。

だからってわけでもないのかもしれないけど、どうにもこの神父の考え方が受け入れられなかったのである。

今なお我々夫婦をして喧嘩腰の言い合いに陥らせてしまうこの一冊、10年の時を経て再読してみた。果たして俺は、前とは違う感想を持つのだろうか?この神父のことを受け入れられるのだろうか?

いや、やっぱりダメだった。この神父、俺には甘えているとしか思えない箇所が多かったのである。でも、流石に10年の歳月はこんなボンクラにも成長をもたらしたのか、前回には気付かなかったようなこともあった。そんな訳で、改めてこの物語について自分なりの分析を施してみようかと思った次第。

※以下、この小説のネタバレになってしまうような内容が続きます。

主人公であるポルトガル人の宣教師、セバスチャン・ロドリゴ。彼の在り様のどこが俺は受け入れられなかったのかと言えば、答えは単純明快。彼の圧倒的な上から目線振りに尽きるのである。

何つうのかさ、家畜同然に扱われている日本の貧しい農山漁村民を、神からの崇高な使命を帯びて遣わされた自分達が救ってやる、みたいなおこがましさを、文章の端々に感じてしまうんだよ。例えばこんな一文。

私の長い間の想像はまちがっていませんでした。日本人の百姓たちは私を通して何に飢えていたのか。牛馬のように働かされ牛馬のように死んでいかねばならぬ、この連中ははじめてその足枷を棄てるひとすじの路を我々の教えに見つけたのです。仏教の坊主たちは彼等を牛のように扱う者たちの味方でした。長い間、彼らはこの生がただ諦めるためにあると思っているのです。

別にここで日本仏教の弁護をしようってつもりはない。でもね、じゃあ宣教師の来訪によって、日本人の百姓たちは果たして救われたのか、ただ単に宣教師たちは無用のトラブルの種を外から持ち込んだだけなんじゃなかったのか。

更に、受け入れる側の日本の大衆にしたところで、結局は浄土思想や弥勒思想の亜流のように、今この我が身の救いではなく、死後の楽園を保証するものとして曲解した形でキリスト教を受容したのではなかったのか。

それはとどのつまり、上に引いた文章で言うところの“この生がただ諦めるためにある”と思うことが、この時代の日本におけるキリスト教の布教/受容に関するある種の前提条件だったのではないか。

だからこそ、多くの信徒は転ぶ(踏絵を踏んで信仰を放棄する)ことよりも死を選んだのだし、また案内人として雇われながら自らが生き延びるためにロドリゴを裏切ったキチジローを、ロドリゴは臆病者と蔑みこそすれ、決して赦すことはできなかった。

結局、少なくともこの時代の日本という特異な状況下においては、キリスト教の信仰に基づいて「生」を肯定できていないじゃないか、というのが、この小説を読んで俺が強く持った印象のひとつだったわけである。

さて。

アジアを放浪していた十数年前、或いは「アナーキー・イン・ザ・U.K.」の拙いコピーを演奏していた二十数年前の俺であれば、ここまでに言及した内容をもって結論としてしまってただろう。最終的に自らも転向したロドリゴ神父に対して、大変だったねごくろうさん、くらいのことしか思わなかったりしてね。

でも、さすがに四十路の声が聞こえてきた今の俺は、そうは言ってももう少し、ロドリゴ神父の転向について想像力を膨らませてみる。

神の沈黙。
降りかかる幾多の困難から自分達信徒を救ってくれるはずの神の、不在。

自らの世界観、宇宙観を根底から覆されるわけだから、神の沈黙を目の当たりにした彼の衝撃は、きっと物凄いものだったのだろうと思う。

そして(ト)同様、俺もやはりそんな確固たる宇宙観を自分が持ち合わせていないということに改めて気付かされるのだった。だから、ロドリゴ神父が受けたであろう衝撃は、俺の想像力の範疇を遥かに超えている。

でも、と我が身に立ち返って更に突っ込んでみる。
崩されて困るような足場なら、最初っからアテにしなきゃいいじゃん、ってね。

そりゃそうだ。でもそれじゃあ、俺はまるで唯物論者みたいじゃないか。自分ではそんなつもりはサラサラないのだが...。

八百万の神々巡り、まだまだ続きそう。

(青)

青空トランプ

Author:青空トランプ
青空トランプ:夫婦ユニット。サブメンバーに、長女コロ(中1)と長男ぐわー(小5)がいます。
そんな青空トランプを、20の質問で紹介します。

【青空☆太郎】

出身地:宇宙
職業:世界を股に挟むえせサラリーマン
趣味:最近は主に東欧の大衆音楽、例えばロマ(ジプシー)系やクレズマーの辺り
特技:誰に対してもあつかましく振舞う
好きな食べ物:カレーかラーメンか迷ってるフリをしつつ本当に好きなのは握り寿司
好きな映画:ここ最近なら間違いなく『先祖になる』だね
尊敬する人:タモリ(『ブラタモリ』復活希望)
抱きたい人:宮崎あおいちゃん(せっかく離婚したんだから俺んとこに嫁に来なさい)
神:JB、ジミヘン、コルトレーン(このチョイスに迷い無し)
永住したい場所:東北か東欧か東南アジア
1ヶ月休みがあったら:東北でボランティア&観光(まだまだ行き足りない)
3億円当たったら:1億は寄付して、残ったカネで防音設備の整ったスタジオ付きの家を建てて楽器を買いまくるね
明日死ぬとしたら:慌てて般若心経を覚える
今一番興味があるのは:クレズマーとチンドンの関係性
子供以外の宝とは:あごひげともみあげ
自分を動物に例えたら:インドサイ
相方のいいところ:他人にでも感情移入できるところ
相方の悪いところ:他人にでも感情移入しがちなところ
相方を料理に例えたら:火鍋と砂鍋が半々のやつ(仕切りは陰陽風)
世界に向けてメッセージを!:打倒風評被害!


【花札(仮)すずき】

出身地:長野県長野市
職業:主婦業を全力で。
趣味:下ネタ。
特技:落ち込むこと。
好きな食べ物:友人の旦那が作るダシ巻き卵。こないだ久々にありついた♡甘さと出汁とフワフワ具合。ケーキかよ!?安定の旨さ。嫁への愛を感じたわー。
好きな映画:『クンドゥン』『JSA』
尊敬する人:もちろんダライラマ14世。すごいオジサマですよ、この人は。
抱かれたい人:吉野寿様。せめてデートできるなら、一緒にダイアログ・イン・ザ・ダークとか行って、吊り橋効果狙いたい。
神:小林賢太郎。神と書いてけんたろうと読む。
永住したい場所:シェムリアップ、ウブドゥ、チェンマイ
1ヶ月休みがあったら:タイのビーチでぐだぐだしたい。
3億円当たったら:半分寄附、半分貯金して老後に旅しまくる。
明日死ぬとしたら:家族と美味しいもの食べて過ごします(;_:)なんか泣けてきた…
今一番興味があるのは:TED。おっさんテディベアじゃなくて、プレゼンの方のね。
子供以外の宝とは:ラーメンズDVD&文庫本コレクション。
ラーメンズ好きな女はうざい?けっ知らねー。
自分を動物に例えたら:スナフキン亜種。おさびしやま~に~♪
相方のいいところ:博識。理論的。私の支離滅裂な話をよく聞いてくれるという意味で、ガマン強いところ。
相方の悪いところ:ブログ、この半年で1個くらいしかあげてませんよ。どうしました?
相方を料理に例えたら:満漢全席。うんちく多そうだ。
世界に向けてメッセージを!:最良の母親とは、まあまあの母親である。〜児童精神科医 ドナルド・ウィニコット〜

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